yosakoiソーラン祭り①観客目線

学生時代、関わっていたお祭りである。

 

今年2018年、7年ぶりにボランティア及び、観客、昔やっていた所属チームのOBとして参加してきた。

 

yosakoiソーラン祭りは、一般市民が「街は舞台だ」を合言葉に、札幌の目抜通りや市内各地の道路を封鎖、或いはステージを設置して踊りまくるお祭りである。

 

日本全国はおろか、海外からの参加者もおり、踊り子は延べ3万人、観客は200万人を超える夏の風物詩となっている。

 

観客目線でこのお祭りに思う事は、パワーを貰いたい、感動したいと期待していて、それが至る所で感じられるお祭りだという事。

一方で、特に目抜通りのパレード演舞は無料で見られる範囲が狭く(植木などがある為)子供などはまず何も見えない。大きな音が通り過ぎるだけだろう。

200万人という人数は延べとはいえとにかく多い!見づらい。綺麗に演舞を観るなら絶対テレビ放送を見たほうが良い。

 

でも、じっとしていればダウンコートを着ても凍えるような6月の札幌の街は、観客で溢れている。全体的に人数は減ってきたとはいえ、何故来るのか。

 

大きく3つの観客層に分かれる

 

1.特定のチーム或いは踊りのファン

2.元気な雰囲気に触れに来る人

3.各チームの友人知人OBなどの交流目的

 

特に、2の人は多いと思ったのは意外な気付きだった。踊りが見えなくても、チームが集まっている所の近くでチームを見ていたりする人だ。あるいは、ほとんど踊りの全体は見えない人垣の奥の方で観ている人。

 

彼らは積極的に踊り子に関わったりはしないが、お祭りの賑わいの中心から少し離れたところで、楽しんでいる。

彼らがいるからこそ、盛り上がっていると言うことをあまり意識していなかった。

 

何度も言うが、現場はめちゃくちゃ寒い。居るだけでかなりしんどい。でも、多くの人が、それぞれの楽しみのために、ワザワザ、祭りに足を運んでいる。それだけのエネルギーが祭りにあるのだ。祀るものは無いけど、祭りに必要な非日常的な空間とハレのエネルギーを持っているから、人は集まっている。

 

僕も昔踊っていたので分かるのだけど、踊り子も寒い。寒いとはいえ踊ったりしていればテンションで何とかなる。

もし昔の踊り子に戻れたなら、もっともっと観客に、それも奥の方の観客や裏方のスタッフに感謝したいと思った。

 

そして、踊り子は「祭り」の主役なのだから、観客の事を忘れないでほしい。

踊りや態度を見れば、観客を魅せようとしている人か、自分に陶酔しているか、チームメンバーに心が向いてるか、何となく分かるものである。

どんな踊り子がいても構わないけど、お祭りなんだから、冷めるような踊りはやめて欲しいと思う。

 

踊り子あってのお祭りだけに、観客と共に楽んでくれよ。っていう価値観だ。

 

価値観の話だけに、統一することは難しいと思うが、個人的に思う冷めるようなパターンは

 

①踊りが下手、揃ってない(練習不足を感じる。子供は可愛かったりするから逆に良い時も)

②踊り子の目が死んでいる(疲れを顔に出しすぎ)

③観客置いてきぼり(内輪ノリで楽しいっすオレら的な盛り上がりを見せる。学生チームに多い)

 

みたいなケースだ。

yosakoiソーラン祭りは審査などがある為、観客との境界が割とはっきりしている。ただ、コンテストではなく、祭りだと言うなら、空間を共有している人全員が、非日常的な何かを感じられるような時間となるべきだ。

 

ボランティアの観点、OBの観点でも、考えてみたい。