就活ルール撤廃②

話題を続けよう。

就活撤廃ルールにおける学生面の変化について妄想してみる。

 

就活ルールの撤廃により、学生たちは3年生から就活を始めるという既成概念を破壊される事になる。

 

プラスの意味でも、マイナスの意味でも、自分のタイミングでの就活となる。アメリカなんかはそれが当たり前なのかも知れない。就職に対して自律はより求められるだろう。

 

文字通りの意味で、いい会社に入るためにいい大学を選んだ学生たちは、入学後も気が抜けず、1年生の頃から志望企業の選定、選考スケジュールの把握が強いられる。

一般論的だが、企業にとって欲しい人材は、すぐに辞めない、優秀な社員である。

今後、生産人口が減る中では、会社に対してロイヤリティーを感じている学生を増やして見つけていきたい。

とすれば、1年次から会社の説明会などに足を運ぶ学生は可愛いし育てたいと思う(必ずしもではないが)

 

その論理からすると、1年次から説明会に行った方が就活に有利だという目論見で動く学生は増えるだろう。

早い段階で社会に触れておくこと自体は、好ましい事ではある。

 

ただし、学生の本分は学問である。自分は学問に全力を捧ぐ事なく、サークル活動に大部分を割いていたので偉そうなことは言えないが、サークルや部活やアルバイトにしたって、勉強の合間の時間に行うものだ。そう考えると学生は忙しい。

 

限られた学生時代に、義務ではない教育や課外活動を行う時間は貴重である。あまり数年先の計画の為だけに時間を失って欲しくはない。

 

そういう意味では、数年先の就職のプレッシャーを感じながら学生生活を送ることは、学生としての純度を下げてしまう懸念がある。学生にはよく遊びよく学んでもらいたい。

 

ならばどうするか。

僕なりではあるが、一つの戦略はスカウトしたくなる、採用したくなる人財である記録を残すというのはどうだろう。

継続的に、自分が何を考えて何をし、何を成果として何を感じたか。

会社の人事が採りたいと思うPDCAサイクルを回すのである。

 

綺麗な履歴書よりも、どのような行動心理を持っているか、どのようなことを成し遂げてきたかのほうが、参考になる。

 

学生時代の初期から、所属するかどうかもわからない会社のプロセスに迎合するよりは、自分らしく学生らしく生き、そのままを記録、公開する事で、将来のポテンシャルを継続的に測ってもらう。

 

もう一度学生生活をやるならば、そんな戦略を立てる、気がする。