交流会に参画しだした。

11月20日より、週に一度、3時間参加する交流会「mokk」に入会することにした。

 

目的は自己成長とビジネスの広がりを期待して。

 

mokk

https://www.mokkmokk.com/about-us

 

「mokk」は「もっと価値ある交流会」の略。

 

HUMAN richをコンセプトに、人間関係を構築することを目的とした交流会である。

 

個人事業主や数人の会社の経営者を始めとした20名前後の集まりで、毎週活動している。

 

ミーティング内容は、毎回紹介によるゲストが数名参加するので、1人60秒キッカリのテーマ付自己紹介。毎週テーマは異なる。

 

その後、1対1で前後の席の人同士で、その2人だったら何が出来るかを話し合う時間。

これは、ビジネスだけで無く、趣味でもよい。

 

続いて、持ち回りで会員の1人が15分間活用して自分のビジネス上の悩みを発表、全員からアドバイスを貰える

 

最後に、ランダムに決めた6ヶ月間のグループで、そのメンバーだったら何が出来るかを話し合うグループタイムが20分

 

ランチを食べて終了。

 

これが毎週のメニューである。それ以外に、パーソナルミーティング(1対1の面会)を推奨しており、全員が全員と個別にアポイントを取り合って、日々関わっている。

 

僕は始まったばかりでまだ全員と個別ミーティングは出来ていないが、人生の新しいスパイスとして楽しむには充分な人脈を感じている。

 

主に、40代から50代の女性個人事業主が多いグループに所属しており、普段関わらない方々であると言える。

経営者としての感覚、女性のコミュニティの作り方、タイムマネジメント、根性、気遣い、観察など、非常に学びは深い。

(正確には、学ぼうという意識と感性を持つと、気付かされることが沢山ある。無意識に過ごせば、何の気づきもないだろう。)

 

ちなみに、スモールビジネスの経営者向けの交流会は多数あり、ビジネスの紹介を目的としたものがほとんどである。

紹介を目的にすると、個人的な意見だが、面倒だったり、殺伐とした感じや、馴れ合いが悪い方向へ行ったりしがちだと感じている。

 

一方で、ビジネスの紹介では無く、「HUMAN rich」人間的な成長、自分のビジネスの弱点をも共有できる仲間づくりを目的としているmokkでは、馴れ合いOKなのだ。

そして、自分が、「人を支えたい、誰かの力になりたい」というミッションを叶える場でもある。

会社員としてチームを持たない自分が、久しぶりに「所属」を貰えた気分だ。

何が出来るのかは未知数だが、「与える行動」を出来、それを通じて学べる環境となった。

 

与え、学び、そして更にはビジネスメイクも出来ればなお良い。

 

初心忘るるべからずで、丁寧に活動していきたい。

プレゼンの構成を俯瞰

先に話したプレゼンの前に配られた、6つの要素について。

 

①シンプルであること

②意外性があること

③具体性があること

④信頼性が高いこと

⑤感情に訴える

⑥ストーリー性がある

 

この6つを網羅すると良いらしい。そこから逆算して考えて話して見た。完璧ではないが、どう考えたかをおさらいし、次回に活かしたい。

 

 

 

「生命保険を売りたかったら、落語を聞きなさい」

→「落語について」というテーマから②意外性を持たせるために変更

 

①なぜ落語?

・人間愛、家族愛の物語が多いから

・落語家は名人芸、噺家によって同じ話も印象が違うので学びになるから

→もっと①シンプルにすべきだったかもしれないが。2項目に絞って他は削ぎ落とした。

 

②-1家族愛の名作「芝浜」

ご存知ですか?の問いかけ

②-2芝浜のストーリー詳細

内容はやや割愛するが、あらすじを網羅。

飲兵衛が財布を拾うが、女房から「拾ったのは夢だ」と告げられ一念発起、酒を絶って必死に働く

借金も返し豊かになったある日、女房が嘘をついた事を詫びる。しかし、主人は女房のお陰で仕事を頑張り豊かになったと感謝。

女房から詫びの印に大好きだった酒を勧められ飲もうとするも「よそう。また夢になるといけねぇ」と呟いくのがオチ

 

→⑤感情に訴え、③具体的な落語のセリフなどを盛り込みたくて、一つの落語のあらすじを入れる。3分という短い時間で、どこまで深く話せば伝わるのかは難しい課題であった。

 

キーとなる「」の部分を注目させてプレゼン。パワポのアニメーションを活用

→⑥ストーリー性というか、聴き手を一方的な参加者とさせたくなかったので、質問調を3つに絞り、メリハリをつけた。

 

③名人芸

小さんのすすり音

そばとうどんの真似の仕方が面白い。見る時間はないので、YouTubeを勧める

→盛り込みたくて話して見たものの、印象には残らなかったとも思うので反省。一つだけを取り上げた方が短時間では効果的か。

 

④締め

楽しみ方は無限大、是非見てね

でも実は、生で見た事ないんです。興味を持った方は一緒に行きましょう。

終わり

→再度意外性で投げかけて、一緒に見ようというアクションに繋げてみた。

今回はウケもよく、一緒に行ってくれる人が見つかってよかった。

 

 

今後、短時間で話す機会が増えそうなので、トレーニングを始めようと思う。

 

落語のプレゼン

会社でとある日、支社長から一言。

 

「ミーティングで毎週1人ずつ3分間プレゼンをやろう。」

 

TEDの様にやってほしいと。

フリーテーマで伝える力のトレーニングとしての発案である。

 

そしてくじ引きにて、1番手に挙がってしまったのが、わたくし。

1週間しっかり準備して臨んでね。との念押し。

 

支社内では一番社歴の長い僕は、1人目といわれると規範というか、あまりにレベルの低いモノには出来ない。

 

後続の後輩に良い印象を与えなければ、皆が手を抜いてつまらない時間になってしまうからだ。それだけは避けたい。

 

楽しくて、3分(話してみるとかなり短い)で印象に残るテーマを探った結果、落語について話す事にした。

 

結果的に言えば、成功した。

全員の「イイネ」を貰うことが出来たしそのあと支社ラインでバズった結果、今度有志で落語を見に行こうという企画まで実行に移される事となった。

 

内心ホッとしたとともに、単純に嬉しくなった。評価を社内からもらえたこともそうだが、準備して直してやってみたプロセスに手応えを感じることが出来たからだ。

また、準備をする上で、プレゼンのポイントなるレジュメを貰い、忠実に守ることができたとおもう。

 

以下に内容を記載、次回のブログで解説したい

 

 

タイトル

「生命保険を売りたかったら、落語を聞きなさい」

 

①なぜ落語?

→人間愛、家族愛の物語が多いから

→落語家は名人芸、噺家によって同じ話も印象が違うので学びになるから

 

②-1家族愛の名作「芝浜」

ご存知ですか?の問いかけ

②-2芝浜のストーリー詳細

内容はやや割愛するが、あらすじを網羅。

飲兵衛が財布を拾うが、女房から「拾ったのは夢だ」と告げられ一念発起、酒を絶って必死に働く

借金も返し豊かになったある日、女房が嘘をついた事を詫びる。しかし、主人は女房のお陰で仕事を頑張り豊かになったと感謝。

女房から詫びの印に大好きだった酒を勧められ飲もうとするも「よそう。また夢になるといけねぇ」と呟いくのがオチ

 

→キーとなる「」の部分を注目させてプレゼン。パワポのアニメーションを活用

 

③名人芸

小さんのすすり音

そばとうどんの真似の仕方が面白い。見る時間はないので、YouTubeを勧める

 

④締め

楽しみ方は無限大、是非見てね

でも実は、生で見た事ないんです。興味を持った方は一緒に行きましょう。

終わり

 

 

と、こんな感じで話してみた。

 

受けは良かったので、今後の短時間プレゼンにも再現性を持たせられるようにしたい。

 

就活ルール撤廃②

話題を続けよう。

就活撤廃ルールにおける学生面の変化について妄想してみる。

 

就活ルールの撤廃により、学生たちは3年生から就活を始めるという既成概念を破壊される事になる。

 

プラスの意味でも、マイナスの意味でも、自分のタイミングでの就活となる。アメリカなんかはそれが当たり前なのかも知れない。就職に対して自律はより求められるだろう。

 

文字通りの意味で、いい会社に入るためにいい大学を選んだ学生たちは、入学後も気が抜けず、1年生の頃から志望企業の選定、選考スケジュールの把握が強いられる。

一般論的だが、企業にとって欲しい人材は、すぐに辞めない、優秀な社員である。

今後、生産人口が減る中では、会社に対してロイヤリティーを感じている学生を増やして見つけていきたい。

とすれば、1年次から会社の説明会などに足を運ぶ学生は可愛いし育てたいと思う(必ずしもではないが)

 

その論理からすると、1年次から説明会に行った方が就活に有利だという目論見で動く学生は増えるだろう。

早い段階で社会に触れておくこと自体は、好ましい事ではある。

 

ただし、学生の本分は学問である。自分は学問に全力を捧ぐ事なく、サークル活動に大部分を割いていたので偉そうなことは言えないが、サークルや部活やアルバイトにしたって、勉強の合間の時間に行うものだ。そう考えると学生は忙しい。

 

限られた学生時代に、義務ではない教育や課外活動を行う時間は貴重である。あまり数年先の計画の為だけに時間を失って欲しくはない。

 

そういう意味では、数年先の就職のプレッシャーを感じながら学生生活を送ることは、学生としての純度を下げてしまう懸念がある。学生にはよく遊びよく学んでもらいたい。

 

ならばどうするか。

僕なりではあるが、一つの戦略はスカウトしたくなる、採用したくなる人財である記録を残すというのはどうだろう。

継続的に、自分が何を考えて何をし、何を成果として何を感じたか。

会社の人事が採りたいと思うPDCAサイクルを回すのである。

 

綺麗な履歴書よりも、どのような行動心理を持っているか、どのようなことを成し遂げてきたかのほうが、参考になる。

 

学生時代の初期から、所属するかどうかもわからない会社のプロセスに迎合するよりは、自分らしく学生らしく生き、そのままを記録、公開する事で、将来のポテンシャルを継続的に測ってもらう。

 

もう一度学生生活をやるならば、そんな戦略を立てる、気がする。

就活ルールの撤廃

就活ルールを撤廃する意向を経団連が示した。

 

少し先の未来について想像と期待を書いてみる。

 

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO34990120U8A900C1EA2000?s=0

 

リンクの通りだが、現在の就活ルールは、説明会の解禁が3月、面接は6月、内定は10月からというものである。

 

撤廃されることで、解禁日以前も採用活動を堂々と行えるという事となるが、すでに2018年時点で、6月1日内定をもらっている学生が68%にも登るというのだから、ルールとしては形骸化していたのである(数値はリクルートキャリア調べ)

 

解禁することで、何が起きるだろう。

 

まずは企業面

会社の人事は、かなり負担が増え、忙しくなる筈だ。

現在でも内定者の入社辞退は珍しい話ではないが、仮に3年生、あるいはインターンに参加していたような1.2年生に就職の約束をしていたとしよう。

しかし、その後独自性の高い会社や大手企業の10月内定者、卒業シーズンまで内定を出さないが、いきなりマネジメント採用を決定する会社などが増えていくことで、内定辞退者は圧倒的に増えていくと思われる。

 

一方、学生にとって知名度の低い会社、あるいは多くの優秀と言われる学生を採用したい会社は、採用活動を早めることになる。

採用活動を早めながらも、入社は不確定になる。人事としては悲鳴である。

 

と考えると、そもそも4月入社ではなく、学生を社員として採用してしまおうという会社も出てくるのではないか。

4月一切入社の廃止である。

 

学業に影響する範囲まで及ぶと社会的に問題にもなるだろうが、既にあなたはA社の社員です。という太鼓判を押し、かつやり甲斐のある仕事が与えられたならば、学生の内定辞退も一定のレベルで防げる。

 

また、3年3割と言われる程に新卒が転職をする時代でもある。

生え抜きを育てるよりも中途採用や出戻り社員を歓迎したいという会社もより増えていく流れを考えれば、内定人数を減らすかわりに、「うちの会社はとてもいい会社」という広報活動に注力するのも戦略として面白い。

より会社のバリューを重視して採用することで、会社への帰属意識を高めるのである。

 

個人的には会社の成果を継続的に上げるために、帰属意識は非常に重要な要素と考えている。

よって、新卒での採用に特化しすぎて学生に迎合するよりは、「あの会社の一員になりたい」という広報活動を全世代に発信するという考えである。

 

一方、スカウトという手もある。

大学で勉学や研究に熱心な学生、または部活やサークル活動に熱心な学生は、就職活動のために大学生やっている学生と同じくらいいる筈だ。

後者の学生は自分でインターンなどに参加したり、資格を取ったり会社作ったり、社会人になる為の自分磨きをしている。それはそれでよい。

前者の学生をどうするかである。同世代の学生の中ではポテンシャルは高いが、就活生としてのポテンシャルは低い学生。

 

彼らを見つけてきて、スカウトする社員が出てこないだろうか。個人的にはそこまで博打だとは思わない。すぐに活躍できずとも、バイタリティは人一倍。会社の多様性にもつながる。

 

外資系企業では、スカウトマンは比較的高額の報酬を受け取ると思われるので、人事の査定にスカウト活動も入れてしまうとか、どうだろう。

 

自由度が高くなれば、戦略も幅が広がる。知恵を絞るいい機会になると思う。

 

 

サラサラと妄想しただけであるが、分量も増えたので学生サイドの変化に関しては次回

終末期における意思表示2

人は、亡くなる前に、以前まで出来ていた事ができなくなっていくことがある。

病気が原因であれば、なおさらだ。

 

現代では2人に1人が発症すると言われる認知症になると、例えばこんな事が出来ない。

・現金を他人のために使う事

家族にも渡せないので、妻の医療費だろうが、子供や孫の結婚資金だろうが、自分の為以外に使う事が出来ない。

 

・家をリフォームする

直すことは出来るが、リフォームはダメ

 

・不動産の売却や賃貸契約などをする

借りることも貸すことも売ることも買うことも不可能

 

・遺言を書いても無効になる

あらゆる意思表示が、法的に無効になる。

 

こうなった場合、親族が助けることも多いが、「法定後見」制度により弁護士や司法書士がお金の引き出しなどをサポートすることもよくあるケースである。

彼らは報酬を受け取るが、他人の財産を管理するということで、高い倫理観が求められる(着服など、訴訟が起きることもしばしば)

また、後見が必要な状態になるまでは自己管理、自己責任となり、後見が必要かどうかは家庭裁判所の判断となるため、自分や家族が望んだタイミングという訳にはいかない。

 

財産に関しては、自分が意識をはっきりとしているうちに準備する方法は以下の通り。

 

1.民事信託(家族信託)を活用

自分が所有しているモノやお金に関わる判断の権利を、誰かに託し、自分が利益を享受する仕組みである。

受託者は家族がなることが多いが、利益は委託者本人のもの、納税義務なども委託者本人の責任となるため、贈与税などを払う必要はない。

信頼できる家族に、家や株、現金の使い道を契約で決めておけば、妻や夫の為に活用することも、売買契約を結ぶことや資産運用も可能である。また、自分の死後には第二受益者を決めておくことが出来るため、死後においても委託者本人の意思を尊重した配分が可能である。

知名度がまだ低いが、初期費用がかかる事を除くと利便性が高いサービスといえる。

 

2.任意後見

家族信託は契約後すぐに適応されるが、自分が認知症などになった時に、家族など信頼できる個人が後見人となる仕組みである。民事信託よりは初期費用が掛からず、家族が後見するという安心感がある。

ただ、積極的な運用や他の家族に財産を交付する事などは基本的には認められず、後見監督人に認められた行為のみの後見となる。

 

3.遺言

自分の死後、財産の分割に関して意思表示する仕組みである。自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言の3つがある。財産の全部に関してだけではなく、一部の財産のみ指示することもできる。

書き方に細かい規定があり、自筆の場合は全て自書しなくてはならなかったり、見つけられない事もあり、作成の際には注意が必要である。

ちなみに、付言事項というメッセージを同封する事が出来、残された家族にとっては非常に重要な側面を持つ。こちらは言わば想いの遺言である。生前の感謝や、兄弟仲良くしなさいとか、遺骨の処分方法などなんでも書いてよい。

 

4.エンディングノート

法的な拘束力などは無いが、言わば自分の終末期におけるさまざまなメッセージを残しておく事を言う。好きなノートやパソコンなどに、自分が重い病になったら、家族が確認してほしい内容などを記しておく。

主に終末期医療に関してしてほしいこと、最後に●●に連れて行ってほしいなどの旨、生命保険証券や預金のありか、葬式やお墓などの指示、危篤に際して連絡してほしい人などである。

無論形式は自由だが、見つけてもらう必要があるため、存在を家族に知ってもらう工夫が必要である。

 

他にも方法がないわけではないが、法律により、終末期に財産が縛られてしまうケースはよくあるので、暗い話題であるからこそ、元気なうちに慎重に準備をしておく事が望ましい。

 

日本は一般市民の制度への理解があまり進んでいないため、親や自分の最期のあり方も自分で決められない事が多い。

文化として、尊厳を持った最期を迎えるということが根付くといいと願う。

終末期における意思表示

仕事柄終末期や死後の整理などの話題を扱うことが多い。今回は意思表示について少しまとめて書こうと思う。

 

生前に出来る事のうち、財産に関わる事、契約に関わる事に関しては、認知症になったり判断が自分では厳しいと判断される場合、否認されてしまう。

例えば、自宅の壊れた部分を治す事は認められるが、リフォームなど、自宅の価値を左右するような手続きは認知症になるとできない。

また、財産を誰に引き継ぎたいか(一般には遺言などにより意思表示できる)が、それも法的効力は持たなくなってしまう。

 

また、自分の終末期治療に関しては、自分の意思よりも家族の了解が得られるかどうかがカギになる。

日本においては、安楽死(積極的な行為により死を選ぶ)事は認められておらず、医療の世界でも、1日でも長い延命措置が基本的な方針となっているため、本人に意識がなくとも、一度例えば胃ろう(食事が取れない方の胃に管を通し直接食事を摂らせる)などを開始すれば、その器具を外す事は許されていない(筈である)

必要以上の延命措置を望まない旨を家族が了解しており、実際措置をとるかどうかの判断を家族に迫られた際、本人の以前からの意向なので、延命措置は取らないで欲しいと了承が得られれば、延命措置をしないという選択肢を取る事は認められる。これを尊厳死と言う。

実際には、尊厳死を判断する事は家族にとっては生死に関わるため、非常に難しい判断になりがちだ。

やはり家族にとっては、体があって、一方的であったとしても会話をしている家族を、死という断絶に向かわせる事を意思表示する事は難しい。1日でも長く生きていて欲しいと願う。

 

本人としては、苦しみながら、金銭的にも迷惑をかけながら生きるより、死にたい。と思う方は多いとは思うが、その場面にならなければ感じられない感情もあると思う。

 

この、尊厳死の意思表示は、本人がより明確に表示する事ができる手続きがある。

https://seniorguide.jp/article/1001604.html

 

尊厳死をサポートする、「事前指示書」「リビングウィル」というものだ。

まだ実感は湧かないが、自分も末期を感じとった時には、何かしらの治療に関してのメッセージを残したいと思う。

自分が死にゆく姿を、家族がどう捉えるかを優先して考えられるうちに、定めておきたい。

自我が不安定になれば、生への執着や、あるいは苦痛から逃れたいという気持ちに左右されてしまうと思うからだ。

 

長くなってしまったので、財産や死後の整理などの意思表示に関しては別で書こう。