終末期における意思表示

仕事柄終末期や死後の整理などの話題を扱うことが多い。今回は意思表示について少しまとめて書こうと思う。

 

生前に出来る事のうち、財産に関わる事、契約に関わる事に関しては、認知症になったり判断が自分では厳しいと判断される場合、否認されてしまう。

例えば、自宅の壊れた部分を治す事は認められるが、リフォームなど、自宅の価値を左右するような手続きは認知症になるとできない。

また、財産を誰に引き継ぎたいか(一般には遺言などにより意思表示できる)が、それも法的効力は持たなくなってしまう。

 

また、自分の終末期治療に関しては、自分の意思よりも家族の了解が得られるかどうかがカギになる。

日本においては、安楽死(積極的な行為により死を選ぶ)事は認められておらず、医療の世界でも、1日でも長い延命措置が基本的な方針となっているため、本人に意識がなくとも、一度例えば胃ろう(食事が取れない方の胃に管を通し直接食事を摂らせる)などを開始すれば、その器具を外す事は許されていない(筈である)

必要以上の延命措置を望まない旨を家族が了解しており、実際措置をとるかどうかの判断を家族に迫られた際、本人の以前からの意向なので、延命措置は取らないで欲しいと了承が得られれば、延命措置をしないという選択肢を取る事は認められる。これを尊厳死と言う。

実際には、尊厳死を判断する事は家族にとっては生死に関わるため、非常に難しい判断になりがちだ。

やはり家族にとっては、体があって、一方的であったとしても会話をしている家族を、死という断絶に向かわせる事を意思表示する事は難しい。1日でも長く生きていて欲しいと願う。

 

本人としては、苦しみながら、金銭的にも迷惑をかけながら生きるより、死にたい。と思う方は多いとは思うが、その場面にならなければ感じられない感情もあると思う。

 

この、尊厳死の意思表示は、本人がより明確に表示する事ができる手続きがある。

https://seniorguide.jp/article/1001604.html

 

尊厳死をサポートする、「事前指示書」「リビングウィル」というものだ。

まだ実感は湧かないが、自分も末期を感じとった時には、何かしらの治療に関してのメッセージを残したいと思う。

自分が死にゆく姿を、家族がどう捉えるかを優先して考えられるうちに、定めておきたい。

自我が不安定になれば、生への執着や、あるいは苦痛から逃れたいという気持ちに左右されてしまうと思うからだ。

 

長くなってしまったので、財産や死後の整理などの意思表示に関しては別で書こう。